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2014年1月 3日 (金)

司法試験の思い出

 最近、1期上の大学の先輩法曹とお話をする機会があり、所属する受験団体が共通していたことから、私が司法試験に合格した平成8年のころをふと思い出しました。

 昔話になります。

 平成7年の司法試験の論文試験の成績が平成5年の時と変化がなかったこと(但し、現在の司法試験であれば合格していたかもしれない順位でしたが)から、大変なショックを受けました。

 特に平成8年にはいわゆる丙案導入の年であり、500位以内に入らないと合格できないため、2重のショックでした(今でも、丙案導入の話を、答案を見てもらった辰巳症教室の友人【平成7年度合格者】から、高田馬場のルノアールで聞いたときの様子を鮮明に思い出します。)。 

 平成5年に「辰巳小教室」に参加して以来、優秀な友人と知り合い、これらの方との交際を重ねながら、次第に予備校での論文試験での成績がよくなっているのがわかってきたため、平成7年には合格するぞ!という意気込みで勉強していました。

 ところが、2年の勉強の成果が全く出ていないという結果を知り、ショックを受けました。

 受験勉強の仕方が根本的に間違っているに違いないと、当時大量の司法試験合格者を輩出していた中央大学の「駿河台法職研究室」に入室することにしました。 

 10月ころに同研究室の入室試験を受け、無事合格(民法の成績はトップだったようです。)した私は、11月ころから、駿河台研究室に入室しました。 

 まず決めたのは、月曜日から土曜日までは駿河台研修室で勉強するということでした。

 現在記憶が曖昧になっているところがありますが、午前5時ころに起床して、阿佐ヶ谷駅前の松屋で朝食をとり、神保町のLECか高田馬場のWセミナーの早朝答案練習会(論文試験の過去問を1題とくというスタイル)に参加して、午前9時ころから午後10時前ころまで駿河台研修室で勉強していました。

 自宅に戻ると、2時間民事訴訟法の他、気になる科目の勉強をしていました。 

 帰りの電車は必ず座れる各駅電車に乗り、論証カードをめくっていました。

 駅から自宅までは、LECの定義を読み上げるテープを聴いていました。 

 両親が日曜日以外は午前5時にモーニングコールをかけてきていました。 

 昼食は近くの日大や明大の学食でとることが多かったように思います。学食は安くて栄養価が高いのでありたがったです。できるだけ、軽いものにしていました。 

 もっとも午後1時位になると眠たくなので、45分だけ机で仮眠をとり、週に3回程千駄ヶ谷の東京体育館のプール(余りきれいなプールではありませんでした)で泳いでいました。日曜日は自宅近くの鷺宮体育館のプールで泳いでいました。

 研究室内には談話室はあったのですが、時間を空費するために、近づかないようしていました。

 また、とにかく、定義や立法趣旨、要件、効果という基本的な知識が大切だということで、中央大学の「法修会研究室」のメンバーと2時間程度のゼミを阿佐ヶ谷や高田馬場あたりのマックでしていました。時期は異なるのですが、中央大学の川添ゼミの友人たち(下とは異なります)とゼミをしていました。友人のお母さんからお弁当を作っていただいたのを思い出します。

 中央大学の川添ゼミの友人(先に合格)のノートをコピーさせてもらったのですが、最終合格まで大変役に立ちました。その友人には、無料のゼミまでしていただき、今でも深く感謝しております。 

 論文試験は、半分近く事前に検討していたところから出題され、また、未知の問題もありましたが、守りの答案が作成できたため、終わった後に手応えを感じました。

 当時の司法試験は、5月に短答式(1日)、7月に論文式(1週間くらい)、10月に口述式(1週間くらい)、3回にわたった長くて厳しい試験でした。

 8月は、ほぼ毎日、友人たちと口述過去問を解き、口述試験に備えました。 

 8月は1週間程実家に戻ったのですが、やつれた息子をみて、両親もさすがに「勉強しろ」とは言いませんでしたね。

 10月に論文試験が合格していることがわかると、早速口述試験の勉強です。この時の報告を母親に電話でしました。

 口述試験まで1ヶ月程度しか時間がありません。8月にあれほど口述試験対策をしていてもとても時間が足りません。そして、ほとんど落ちないというプレッシャーや、2回続けて落ちて口述試験を受ける資格を失いその後合格したのは10年先という逸話をきいて、重圧を感じていました。

 1日2本くらいユンケルコウテイエキを飲んで、1日20時間くらい勉強していたと思います。トイレに行くときも、ご飯を食べているときも、勉強です。

 口述試験では、商法と民法、そして国際公法で大失敗をしてしまいました。憲法、刑法、民事訴訟法は、まずまずでした。特に、商法は、利益相反の問題を尋ねられましたが、頭が混戦して、まともな回答が出せませんでした。国際公法は得意科目ですが、主査の先生となんとなくいやなムードになるなど時間切れで最悪でした。

 商法での失敗は致命的だと思ってしまいました。主査の先生ができるだけ助けてくれようとしていたのですが、益々頭が混乱し、唇が渇き、何も考えられないという事態に陥ったのです。

 が、なんとか最終合格できていました。 

 合格後は急に周囲からちやほやされるためにしばらくの間浮かれた気分になりましたが、中央大学の法職研究室のチューターを引き受けたことから、3月末まで多忙な生活を送りました。この時の話は後日にしたいと思います。

 今から思えば、ごく普通の人間が司法試験を合格するためには、「実力」(知識)や「受験技術」だけではなく、+「運」や +「健康」が必要な試験でした。

 合格のためには、辰巳小教室、駿河台法職研究室、法修会研究室、川添ゼミの友人には大変なお世話になりました。

 今でもその時のメンバーとはおつきあいがあります。 

 受験技術という面からいえば、当時はLECの伊藤真先生、高野先生、そして、お会いしたことはありませんが柴田先生の著作(受験技術)から教えられることが多かったように思います。伊藤先生は塾を立ち上げる直前だったように思います。

 受験生の息抜きは、中央大学の甲斐ゼミの友人からの登山と飲み会のお誘いですね。だいたい2か月に1回ほど登山にでかけていたように思います。 

 なお、余談ですが、今でも、ふと、平成8年の試験に実は不合格になっており、しかも、平成9年の法職研究室への入室申込みをしていなかったという夢を見ることがあります。。。

 こんな昔話を思い出すのも、歳をとったせいかもしれませんね。。。。 

 

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