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日記・コラム・つぶやき

2017年9月22日 (金)

義父の死

 8月31日に義父が亡くなったということを昼に義父にとっては孫にあたる子どもたちから聞き、家で昼食を作っている家内に確認したら、自宅で31日の朝に眠るようにして亡くなっていたという説明を受けた。

 9月1日に通夜、2日に告別式だったが、義父の強い意向により、子ども、孫、子どもの婿のみの家族葬となった。

 そもそも義父との出会いは、20年位前に家内と見合いをして交際することになり、交際して暫くした後、今治市内にある家内の実家であいさつにうかがった時に初めて会ったと思う。

 そのころの義父は今治有数のタオルメーカーの会社の社長をしており、また、関連会社の工場も中国に設置する等して、当時は今治タオルというブランドも確立されておらず、タオルの製造という厳しい業界の中で、第一線で積極的に活躍しており、当時司法修習生であった私から見ると、かなりアグレッシブな雰囲気と容ぼうを持った人であった。

 反面、当時は繊維問題で我が国と中国と貿易摩擦が発生しており、中国進出企業の1社であった義父も相当に厳しい立場に立たされており、そのときの様子がTV等でも放映されており、外部から見ていて痛々しい程であった。

 それはされおき、話を戻すが、家内とは交際を経て婚約し、結婚するに至ったわけであるが、婚約以降、家族の一員として家内の実家に度々出入りするようになった。

 義父の仕事の内容についてはアグレッシブに働いていたこと以外は余りよくわかっていないが、少なくとも、家庭面では家庭を非常に大事にしており、具体例を挙げると数えきれない程あるが、例えば、家内の実家でのバーベキュー大会等では備長炭を購入して一生懸命に家族のために肉を焼いている姿、子ども(孫)のために車を運転して九州や高知を旅行したこと等を思い出している。

 私の仕事で東京の会議が長引いて松山行きの最終便に乗り遅れ、始発便で松山空港に着いたことがあるが、その日も午前から裁判所で仕事があるためそれに間に合うように、早朝に義父が松山空港まで迎えにきてくれたこともある。

 一線をひいてからは、趣味の範囲ではあるが、農作業に従事し、大根やネギ等の野菜を持ってきてくれたり、或いは、家庭でそば粉からそばを作って御馳走をしてくれたりなど、誠に家族サービスに富んだ人であった。

 また、現在私の子ども(孫)が高校三年生であるが、もし子どもが中央大学に進学することがあれば、義父も私も中央大学出身であることから、3代が中央大学出身者ということで、中央大学のホームカミングデーで表彰されるかもなということで、子どもの大学合格を楽しみにしていた。

 最近調子が悪く、先月も入院し退院したばかりであるが、子ども(孫)は8月に北陸の城めぐりした時のお土産(のどぐろ)を持参した時には元気そうだということでまだまだ大丈夫だと勝手に思い込んで安心していた。

 旅行の土産を持って行くと「いつもありがとう」という義父の言葉を思い出す。

 享年77歳だった。

 作家の井上靖の言葉だったと思うが、親が亡くなると、自分自身の死を意識するようになる、これまではそのような意識を親が引き受けてくれていたが、親が亡くなると、今度は自分の番だということで、死というのが急に正面から意識するようになるというような趣旨のことを話されていたのを思い出す。

 私には、まだ、義母や両親がいるが、いずれも高齢である。井上靖の先ほどの言葉を知ったのは30年位前のことであるが、その時には余り理解が十分ではなかったが、義父が亡くなり、少しずつではあるが、確実にそのようなことも考えることが増えている。

 そういえば、家内と結婚した当初に、義父から国際ホテルの寿司屋さんで二人きりの食事を誘われたことを今思い出した。二人きりで食事をしたのは先にも後にもその1回だけだ。何を話をしたのかはほとんど覚えていないが、ただ、家内は元気か?ということを訊かれたことがある。その当時、家内は義父の会社の社員であり、社員である家内の状態は知っているはずなのに不思議に思ったが、今から思うと、娘である家内が幸せなのかを確認したかったのだろうと思う。このようなことも歳を重ねないとなかなかわからないものだ。

 私にとっては、仕事に対する姿勢でも、家庭の面でも、目標とすべき人だったので、義父の死は本当に残念に思う。

 自分にとっても、心の中に大きな空洞が生じた感じがする。

 親孝行は亡くなってしまうと、したくてもできない。。。という話があるが、人生の先輩としてお話をうかがうこともできなくなってしまうというのは亡くなってから如実に感じるところである。

 なお、冒頭に話が戻るが、昼食を作っていた家内は私や子どもに対しては明るくふるまっているが、顔に泣いていた痕があった。。。

 今は静かに義父の冥福を祈りたいと思う。

2017年4月17日 (月)

平成28年公認会計士試験合格

 中央大学学員時報No496号が送られてきました。

 その中に、平成28年公認会計士試験合格者の大学別ランキングが掲載され、どうやら第2位だつたようです。

 第1位は、慶大 で、139人

 第2位は、中大 で、96人

 第2位は、早大 で、96人

 第4位は、明大 で、72人

 第5位は、東大 で、36人

 昨年は、

 第1位は、慶大 で、123人

 第2位は、早大 で、91人

 第3位は、中大 で、62人

 第4位は、明大 で、56人

 第5位は、同大 で、33人

 となっております。

 国立としては、東大以外には、神戸大学が上位10位に入っております。

 公認会計士試験って、国立大学が少ないように感じますね。伝統的に、慶大が第1位なのはわかりますが、意外と東大が少ないように感じます。

 その中では、中大が、第2位から第3位を確保しているので、たいしたもんです。

 

2017年4月 7日 (金)

江戸城の思い出

Kimg5411

 先月の連休で、中学2年の息子を連れて、江戸城を訪ねました。江戸城は、2,3年前にも、息子と娘を連れて訪ねているのですが、娘が余りお城には興味がなかったことから1時間程しかお城見物できず、息子が消化不良になったので、再度息子だけを連れて訪ねることにしました。4時間程滞在しましたが、北の丸方面の田安門、清水門が見れないことが息子の心の残りだったようですが、それ以外はずいぶん楽しめたと喜んでいました。

 Kimg5417 

 遠い昔、おそらく、大学1年生か2年生のころ、今から、30年前のことだと思いますが、そのころ、理由は忘れましたが、母親と一緒に、江戸城を散策した記憶があります。

 残念ながら、どのような目的で、また、江戸城の前後はどこを訪ねたのかは記憶に残っておりません。

 平日の閑散としている江戸城を、母親と二人でただ会話もなく、歩いたという記憶しかありません。

 その時の記憶としては、音楽隊の人たちが練習している音が小さく聞こえていたこと、そして、江戸城の天守台を登らずにそのまま通り過ぎたということだけです。

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 従って、江戸城というのは、記憶にある範囲だと、30年前に1回、2,3年前に1回、そして最近に1回 というわけです。

 今から思えば、大学時代、司法浪人時代、司法修習生時代等、もっと、江戸城を訪ねる機会はあったかと思うのですが、1回しか訪ねていませんでした。

 たぶん、江戸「城」という感覚がなくて、皇居という感覚であったので、近づきがたかったのかもしれません。

 Kimg5409
 息子は、お城が大好きで、石垣の1つ1つ、門の1つ1つを、丁寧に観察し、また、説明してくれます。

 Kimg5439 お城を訪ねると、息子から、息子が仕入れた知識や現場で感じた事などを一生懸命説明してくれるので、とても楽しいひと時が過ごせます。 Kimg5361

 いつまで息子との男旅を続けられるかわかりませんが、息子との楽しい思い出をそのまま大切にしていきたいと思います。

 そう考えると、母親も実は同じようなことを思っていたのではないかと想像したりします。

 そのことを尋ねると、母親からは、「そんなことあったんかいね?」とも言われそうなので、怖くて確認できておりません。

2017年3月30日 (木)

 煙草の臭い  (-。-)y-゜゜゜

 煙草の臭いですが、私は禁煙していることもあってか、煙草の臭いだけは耐えられません。

 あるサイトに、

 「タバコを吸う人の口臭はかなり強烈な臭いなんです。それはもう近くで会話していると思わず手で鼻を覆いたくなるくらいです。私も以前は1日に2箱近くタバコを吸うヘビースモーカーだったのですが、吸っている当時は自分の口臭なんてまったく気にしていませんでした。ところが禁煙してからやっとその臭いの強烈さに気づきました。」

 とありましたが、まさにそのとおりだと個人的には思います。

 吸っている時の臭いだけではなく、吸い終わった後の口臭もこのブログにあるように強烈に感じます。

 自動車やバスの車の中、昔の電車の中などの閉鎖的な空間で吸われると逃げることもできず、大変不快な思いをします。

 料理をいただいている最中のたばこのにおいも嫌ですね。

 私自身は、たばこは、社会にとって大きな負荷を与えるものなので、最低でも1箱2000円位にすべきではないかと思っております(喫煙家の皆様すみません。)。

 たばこのにおいについてはこのように不快に思っている者もいますので、吸っている間だけではなく、吸い終わったあとの口臭、また、特に車の中等の狭い空間での臭いについては、禁煙者に対する配慮をいただければと思います。

 Kimg5383
                  (江戸城)

 そして、煙草を吸う方は、きちんと口臭のケアをしてもらいたいと思いますので、このサイト を参考にしていただければと思います。 

2015年4月21日 (火)

スイミング・・・・ (^_^;)

 最近、堅い記事が続いていますので、今日はプライベートなむかし話を少しお話したいと思います。(^_^;)

 高校生のころは余り運動しなかったことから、高校生でありながら立派なメタボな身体となり、メタボ解消のために大学3年生のころから、「スイミング」を趣味として始めるようになりました。fish

 元々水泳はほとんど金槌でしたが、平泳ぎはかろうじてできるために、数年前までは平泳ぎで泳いでいました。平泳ぎは腰痛に悪いことから、数年前に思い切ってクロールもどきで泳いでみたら意外に泳げるので、現在はクロールで泳いでいます。(^_-)

 話を戻します。

 大学3年生のころ(昭和63年ころ)、東京の府中セントラルスポーツのディー会員(昼間だけの会員)に入会し、週2回~3回程、昼間にスポーツクラブに運動に行っていました。同スポーツクラブは、東府中駅近くにあったことから、居住していた府中学生会館からは自転車で片道15分くらいかかっていました。

 会費を安くするために昼間に通っていたので、インストラクターのお姉さんからは、夜間の学生と思われたりしました。お姉さんからは、マシンの使い方を教えて貰いました。その際に、お姉さんはピチピチのスパッツ型のユニフォームであったため、当時うぶな大学生であった私は、顔を赤らめながら教えていただいたことを懐かしく(笑)思い出します。lovely

 クラブで指定の水着を購入しましたが、当時の水着は、いわゆるビキニタイプで、いまの主流から考えると露出面が広い水着でしたが、当時はそれが当たり前でした。heart02

 2年近くかよって、メタボも少し解消されました。

 大学を卒業して、司法試験の勉強のために、司法試験予備校に近い杉並区阿佐ヶ谷に引っ越ししたことから、同クラブからの紹介を受けて阿佐ヶ谷駅近くのやはりセントラル系のスポーツクラブに通いました。

 このスポーツクラブは、月会費のほか、利用する毎にもお金がかかったことから、1年程でやめ、少し料金の安い高円寺駅近くのスポーツクラブに変更しました。building

 こちらのクラブも、阿佐ヶ谷の自宅からは距離があることに加え、なんと入会してすぐに会費の変更したことにより以前のクラブよりも負担が大きくなったことから、3ヵ月程でやめました。coldsweats01

 この段階で、費用のかかる民間の運動施設に通うのは経済的にも負担が多いので、公立の運動施設を利用することを考えて、中野区鷺宮駅近くに公立の体育館にプールが併設されていることを知り、それ以降は、ほとんどこちらのプールを利用するようになりました。happy01

 そして、鷺宮の体育館は、西武新宿線の鷺ノ宮駅から徒歩5分程度のところにあり、また、司法試験予備校(Wセミナー、LEC)のあった高田馬場に通学するのに便利だったので、2日に1回程度は利用しました。シャワーを浴びて、1時間程平泳ぎで泳いでいましたが、利用者も多く、1レーンに3人~4人程の人が利用していましたね。夕方まで高田馬場の司法試験予備校で勉強して、鷺宮で1時間程泳いだ後、自宅に戻るという生活を送っていました。coldsweats01

 平成7年10月ころからは、中大の駿河台研究室(お茶の水)に入室して勉強するようになり西武新宿線を利用することがほとんどなくなったことから、鷺宮体育館を利用することがほとんどなくなり、代わりにお茶の水駅と総武線でつながっている千駄ヶ谷の東京都体育館のプールを利用しました。 

 東京都体育館は、ものすごく広くて、しかも深いプールで、大勢の人が一心不乱に泳いでいる姿が今の記憶に残っております。レーンの長さも、50メートルくらいあったように思います。ただし、残念ながら、余りにも多数の人が利用されている関係上、水はあまり綺麗ではありませんでしたが、とにかく広い、長い、深いプールという印象を今でも抱いています。coldsweats01

 司法試験合格後は、実務修習先の香川県高松に転居し、裁判所と提携していた穴吹のスポーツクラブでマシンの利用や自転車等を漕いでいることが多かったですが、同クラブとの提携が解消されてからは、同期の修習生を誘って、浜ノ町の公立体育館のプールをよく利用していました。

 とはいえ、泳いだ後、ご飯をたっぷり食べていたので、メタボ解消には逆効果だったと思いますが。coldsweats02

 埼玉県和光(司法研修所のある所)では、公立のプールを数回利用していましたが、場所柄、子どもたちの利用も多く、数回程度利用しただけで、司法研修所の中の体育館のマシンで汗を流していました。

 なお、和光の樹林公園の運動場で毎日ジョッキングをしていたのですが、これが今につながる腰痛の原因の元です。bearing

 愛媛に帰ってからは、今治や松山のスポーツクラブ(フィッタやアクトス)に併設されているプールを利用しており、また、ご存知のとおり、県外出張の場合は、プール付きのホテルに宿泊して泳いで汗を流すようにしています。

 プール付きのホテルでは、東京方面では、ロイヤルパークホテル、グランパシフィックダイバ、浅草ビューホテル、ザプリンスタワー東京、イースト21、シェラトン横浜などを利用することが多いですね。いずれも日々のストレス解消に役立てています。

 なお、今治国際ホテルも会員となって利用したことはあるのですが、これも、月会費の他、1回利用する度毎に利用料が必要であるため、1年程でやめました。(>_<)

 腰痛の手術を受ける前は、2時間程平気で泳ぎ続けることができましたが、術後はそれが難しくなりましたが、やはりストレス解消としてはもっとも自分に適しているので、1時間以上はクロールで泳ぐようにしています。

 妻や子どもたちからは、「あざらし」とか、「とど」とか、言われていますが、いつかは、「イルカ」とか言われたいものです。(^_^;)

2014年10月23日 (木)

退院しました m(_ _)m

 椎間板ヘルニアの手術も成功して、無事退院いたしました。

 13日に急遽入院し、14日に手術、2週間程度の入院期間が予定されていましたが、術後の状態が順調であること、事務所長期間の不在のために仕事が滞留してしまっていることから、少し切り上げて、退院することにしました。

 但し、少なくとも12月に入るまでは自宅安静を要するとのことです。

 下肢の神経症状は綺麗にとれましたが、手術創である腰の周辺はまだ相当の痛みが残存しております。

 30分程いすに座りますと、腰が硬直します。 

 それを解消するために、リハビリの先生から簡単な腹筋体操を教えて貰いましたので、今後は毎日それをおこなう予定にしております。

 いずれにせよ、下肢の神経症状は気にならない状態になりましたので、少しずつリハビリを入れながらも、仕事をきちんとしていきたいと思っております。

 なお、腰痛が急に悪化した原因は、業務量が増えて身体に大きな負担が生じるようになったのが大きいのではないかと思っております。私の場合、公職や会合なども多いために、事務所があけることが多く、しかし、それでは相談がとれないために(相談がなければ売上げにつながりません。)、事務所にいるときは、多数の法律相談を入れるということが続いていました。

 来年1月に弁護士複数体制になるまでは、身体に大きな負担をかけずに、無理のない範囲で業務を行わないと、結局、今回のような皆様にご迷惑をおかけすることが発生することがわかりました。

 また、スタッフの方にも昼間休憩を十分とっていただくために、来週からは、午後0時から午後1時の間は留守番電話で対応させていただくことにしました。ご迷惑をおかけしますが、ご容赦下さい。

 新規の相談については、顧問先様以外は、現時点では、受付を中止しております。ご容赦下さい。 

 

2014年5月 5日 (月)

エミフル松前 に出かけてきました。

 子どもがレーシングカーを見たいと希望するために、エミフル松前で開催しているモーターショウを見に行くことにしました。

  Dscn3048

 その後は、ミニ動物園を訪ねました。

 Dscn3055  

 ゴリラが迎えてくれます。(^_^;)  Dscn3068

 ペリカンがおもしろいです。

 Dscn3074  

 フクロウも楽しいです。

  Dscn3066

 インコもびっくりです。

 Dscn3057  

 最後は、山羊とツーショットです。

  Dscn3059

2014年2月18日 (火)

当事務所における新人弁護士の応募は、終了いたしました。

 応募は締め切らせていただいているのですが、日弁連のひまわりの求職者情報を載せていると、履歴書を送付される方がおられますので、本日をもって、求職者情報を抹消いたしました。

 このブログに目を通していると応募は締め切っていることはわかると思いますが、おそらく、目を通されていないのでしょう。 

 本日の求職者の方を入れて、応募は7名となります。

 本日をもって、応募は終了させていただきます。

 ありがとうございました。 

2013年5月19日 (日)

府中学生会館の想い出

 数年前に、私が大学生活を過ごした府中学生会館(府中市晴見町)の想い出をこのブログでご紹介したことがあります。

 私が中央大学を卒業したのは平成2年ですから、あの頃に誕生した赤ちゃんがちょうど大学卒業し社会人生活を送っているという月日が、私の感覚ではあっという間に流れたことになります。

 40歳代というと人生の折り返し地点とよく言われますが、あれこれ過去のこと、現在のこと、そして、将来のこと、いろいろ悩んだり、心配したりする年代なんだなあと実感します。

 私が府中学生会館に入館したのは、ちょうど国鉄がE電とか呼ばれるようになった時期で、また、日本がジャパンアズナンバワン!とか言われて、日本が大変元気のある時代でした。確か、中曽根さんが衆参同時選挙をして自民党が大勝したんじゃないかなあ。

 学生会館に入館している方は、いろんな方がいました。主には大学生ですが、高校生、大学浪人生、司法浪人生、ネパールから来た医学研修生等色々でした。

 大学生も、アメリカ人からアジア人まで複数の外国人もいました。

 アメリカ人の方はICUの学生さんでしたが、1,2度英語を教えて貰ったことがありました。彼の部屋を訪ねると、パソコンがあり、それを使ってアメリカにいる家族と通信していたので、アメリカってすごいなあと感心したことがあります。アメリカの大手の通信会社に就職が決まったと言っていましたが、今頃何をされているのでしょうか?

 ネパールの方は、管理人さんの話によれば、ネパールの偉い人の甥にあたるということで、東京の病院に医学研修生として留学されているということでした。部屋で焼き物としていて、その煙が廊下に出て、騒ぎになったことがありました。

 場所が府中ですので、場所柄、中央大学の先輩・後輩・同級生も複数入館されていました。今でもお付き合いがあるのはわずか2名だけですが、皆さんどうされているのでしょうか?

 1階は管理人さんの事務室があり、談話室、トイレ、浴場があったと思います。2階から4階は部屋ですが、トイレはありません。小さな流し台がありました。屋上がありましたが、物干し台はあるものの、風が強く、利用しずらかった記憶があります。1回だけ日焼けのために寝たことがありますが、熱すぎて断念しました。国分寺街道が接していますので、お祭りの御輿の際には上から見物できました。

 私は南向きの4階の隅の部屋だったので、日当たりがよく快適に過ごすことができました。

 賃料は月額5万円台だったと思います。

 ご飯は自弁で、よく隣のおそば屋さんである、長寿庵で定食を食べていました。また、近くの商店街には、何カ所か定食屋さんがあったので、友人を誘って食べに行っていました。

 個室とはいえ、毎夜のように友人が押しかえ或いは友人の部屋に押しかけるために、プライバシーはありませんでしたが、サイフォンで淹れていただいたコーヒーをいただいたり、成人してからはお酒をいただきながら、様々な分野の議論をしたような覚えがあります。

 そのためか、府中学生会館にいる時は部屋で余り(法律の)勉強した記憶がありません。

 また、隣の部屋の2つ年上の先輩が新潟出身の大変真面目な方で、朝から晩まで法律の勉強や英会話の勉強をして、私などは会う度にいつも勉強しろしろと説教されていました。今では、その先輩は金融機関の偉いさんになっています。

 その隣は、司法浪人の大学の先輩ですが、いつも1階の談話室でお見かけしていました。

 文学部の先輩では、お風呂で会うと必ず1,2時間程、話しかけてくる方がいました。長話になるので、お風呂で会うと身体がいつもふやけていました。きれい好きで、お風呂以外も、度々手や顔を洗っていましたね。

 大学のクラスが中国語を履修したため、内部の高校から進学した方が多く、クラスに溶け込めなかったので、学生会館での生活がなければ、5月病になっていたと思います。

 バブル絶頂期でもあったため、4年生になると、公務員試験に合格したとか、内定をもらった等と、ほとんど就職活動をしなかった私は、寂しい思いをしましたが、そうだからといって、司法試験の受験勉強にせいを出していたわけではありませんが、さすがに何もしないわけにはいかないために、4年生の6月か7月位から、高田馬場にあった早稲田司法試験セミナーの基礎講座(憲法・民法・刑法)に通学することになりました。矢田誠先生が講師でしたが、板書の量が多くついていくのが大変でしたが、基礎講座をきちんと復習さえしていれば、翌年の司法試験の短答式試験(5月に実施)には合格することができました。論文式試験(8月に実施)は散々たるものでしたが。

 早稲田司法試験セミナーに通学する関係上、府中では不便を感じていましたので、大学を卒業する直前に杉並区に転居しました(杉並区での受験生活は大変過酷でした。)。

 もっとも、転居後も度々学生会館に遊びには出掛けていました。

 卒業記念のボールペンもいただきました。

 管理人さん夫婦にはよくお世話をしていただき、時折、ふと思い出すこともあります。

 管理人さんは、明治大学を出た後、大映に就職されたようで、大映の話しを面白く聞かせて頂いたことがあります。

 管理人さん夫婦は、確か、東海地方の方におられるようなことを聞いたことがありますが、ご存命だと80歳代にはなっておられるのではないかと思います。

 府中学生会館の4年間は大変貴重な宝石のような日々だったと思います。もっとも、今から思えば、あすれば良かったなあと思うことも少なくありませんが、その後の過酷な受験勉強、そして、弁護士になってからのハードな環境を考えると、学生会館での大学生活は、人生の貴重な休息期だったと思います。

 但し、何か1つのことを成し遂げることができたかというと、それは、(-_-) です。

 今は学生会館は取り壊されて、普通のマンションが建っているようです。

 月日の経過の速さを感じます。 

 子どもが大学に進学する際には、学生会館を勧めてみようかなと考えたりしています。

 

2013年2月25日 (月)

叔母の死

 叔母が亡くなったので、葬儀に出席しました。

 叔母は着物屋を営んでいたので、小さいころは、お茶の先生をしている祖母に連れられて店にまでお邪魔をしていたことを思い出します。

 お邪魔すると、だいたい、和菓子と熱いお茶でもてなしてくれ、いつも、「(見る度に)大きくなったねえ~」と言われていました。

 叔母は明るくて闊達な女性だったので、叔母の所にいくといつも華やかな気分になっていたものです。

 私が司法試験に合格した後も、おんまく(今治の夏祭り)のための着物を叔母のところで作ったりして、また、結婚してからは、私の嫁が叔母と気が合うのか時折遊びに出かけたりしていました。

 娘も浴衣を叔母のお店で作ったことがあります。 

 そういえば、義父母が結婚した時に仕立てた着物も叔母のところで作ったようです。

 親族の行事の時には、いつも叔母が参加し、明るい雰囲気を醸し出してくれていました。

 先日の葬儀では、母の姉達が出席していました。

 当たり前のことですが、みんな、「おばあさん」になっていました。

 葬儀の際に、ふと、作家の井上靖先生がその著作の中で、親が亡くなった際に死が近づいていることを意識させられるようになった、親がそのような意識を生じさせない防波堤になっていたというようなことを述べておられたことを思い出しました。

 この葬儀まで、私の叔母達は永遠に生きるのではないかという気持ちをなんとなく抱いていました。

 そして、葬儀のあと、なぜか私は悲しいという気持ちよりも、「叔母はもうこの世にはいないんだなあ」という寂寞とした気持ちの方に強く支配されました。

 今回の葬儀では、子どもたちも積極的にお棺に花を入れてくれるなど活躍してくれました。

 着物を作ったりしましたので、子どもたちもおぼろげながらも記憶はあるはずです。

 子どもたちがどのような気持ちで葬儀にのぞんだのかはわかりませんが、きっと良い経験になったのではないかと思います。

 ご冥福をお祈り申し上げます。    合掌

 

  

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