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日記・コラム・つぶやき

2019年7月17日 (水)

1時間ばかり、泳いできました。

 最近、夕食をいただいた後、夜1時間ばかり泳いで、その後、事務所にむかって、午前0時ころまで、仕事をすることが増えています。

 それでも、体重は減りませんね。

 そういえば、田舎弁護士がスイミングをするようになったのは、大学生のころ、運動不足気味になったので(大学の研究室の先輩から、最近ぶくぶく肥えてきたなと言われたことがきっかけです)、府中にあるセントラルクラブにディ会員として入会したのが始まりです。

 (実は、その前に府中学生会館の大学の先輩と一緒に、国分寺にあった本格的なボディービルのクラブに入会してしまったのですが、3ケ月位でいかなくなりました。会長さんがプロティン飲め飲めと言ってうるさかったのと、男女と問わず本気度の高いクラブだったので、ひいてしまいました。)

 昼間、2時間程、マシーンでの運動とスイミングをしていた記憶があります。ディ会員なので、マシーンの部屋で運動しているのは、1、2人位で、若い女性のインストラクターさんからマンツーマンで指導を受けていましたね。

 昼間ばっかりいっていたので、夜間の学生さんですか?と言われたことを思い出しました。

 当時は、平泳ぎしかできなかったのですが、セントラルクラブ指定の空色のブーメランパンツに履き替えて、30分位泳いでいましたね。月会費は、ディ会員なので、5000円くらいだったと思います。

 ただ、当時住んでいた晴見町の府中学生会館からは、少し遠くて、自転車で片道20分位はかかっていました。これだけでも軽い運動になりましたが。。。

 マシーンとプールと更衣室については覚えているのですが、風呂があったかどうかは記憶にありません。

 プールは昼間ですので、小さな子どもたちと奥様方が多かったですね。大学生っぽいのは、田舎弁護士位だったように思います。

 もう30年以上前のことになるので、あのときのちいさな子どもたちは40歳前くらいかな。 奥様方は、70歳か80歳くらいになっているんだろうな。(でも、30年前にことには思えないんですよね。。。)

 府中から引っ越しをした後は、阿佐ヶ谷にあったセントラルクラブに入会しましたが、月会費が確か7000円位、1回利用するごとに300円程度かかり、身分不相応だったので、途中で退会しました。その後は、隣町の高円寺のスポーツクラブにいっていましたが、途中で閉鎖となり、最終的には、中野の鷺宮体育館で泳いでいましたね。ここが安くてよかったです。。。

 お茶の水の駿河台研修室に入室してからは、千駄ヶ谷の東京都体育館を利用していました。ここは超本格的でしたね。

 マシーンだけからいうと、阿佐ヶ谷の公民館の体育室のマシーンも何度か利用しましたが、誰もいないので通わなくなりましたね。

 こんなことを書くと、田舎弁護士の事を、さぞかし、マッチョな人間か、或いは、水泳体型かと誤解されますが、今日は、家内から、「トド」を言われました。

 息子に、「お父さんは、事務所では、水中のトド、家では、陸上のトド」と説明していました。

 褒めていないような・・・・気がする・・・

2019年6月21日 (金)

お電話でのご相談対応については、固くお断り申し上げます _(_^_)_

 ご相談者の方から、「お電話でご相談の続きをしたい」というご連絡が時々あります。

 田舎弁護士の場合、お電話でのご相談対応は、顧問先様の場合と、事件として依頼させていただいている案件の場合以外は、一切行っておりません。 

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 理由は、2点です。第1に、田舎弁護士は、事務所を不在にすることが多くて、電話での対応を可能とした場合、翌日等に田舎弁護士が事務所に戻った際に、電話を掛けざる得ない等の負担発生します。不在の間の、顧問先様やご依頼人様からの問い合わせが多くて、そちらを優先するために、連絡を差し上げることを失念することもあり、クレームとなりかねません。

 第2に、お電話での相談は、5分だけと言いながらも、10分、20分と長くなることが少なくありません。事務所の来所していただいているお客様にご迷惑をおかけすることになります。

 電話でのご相談を希望されるのであれば、適切な費用を負担していただいて事件としてご依頼していただくしかありません。

 この点については、友人・知人でも同様です。

 相談業務は弁護士にとっては仕事です。

 田舎弁護士の場合、仕事は無料ではいたしません。

 ご相談がある場合には、お電話でご予約の上、来所下さいますようお願い申し上げます。 

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2019年5月30日 (木)

ダイエー今治店

 今は、今治国際ホテルの駐車場になっていますが、昔は、ダイエーの今治店が入っていました。FCでされていたと記憶があります。

 5,6Fの建物で、おもちゃ売り場、衣類、食品等、一通りの物の買い物はできていました。

 気付いたらいつもまにか縮小され、パン屋さん、本屋さん、100円ショップのテナントが入っている位になっていたと思います。

 最盛期のころは、お年玉をもらった子どもたちは、このお店のおもちゃ売り場でおもちやを手に入れるのが楽しみだった記憶があります。

 今治国際ホテルが駐車場だったので、そこに車をとめるか、或いは、警察署の隣の駐車場に車をとめて、買物をしていたと思います。

 あれだけ大きな建物だったのですが、解体されると、余り思い出せません。

 ダイエー、高島屋、大丸、ニチイ、大洋デパート等、昔の今治は大きな店が目白押しだったような記憶があります。

2019年4月13日 (土)

榎本保郎 牧師 との想い出

 田舎弁護士がまだ小学校に上がる前に通っていた幼稚園が今治めぐみ幼稚園です。プロテスタント系の教会の付属幼稚園で、入園する前の面接、運動会、遠足、教室内での英語等の教育、クリスマスの時の劇等をおぼろげに覚えております。

 クラス担任の先生はとても優しい若い女性の方でしたが、小学校にあがってからも1度だけ葉書を送った記憶はあります。幼稚園を辞めて奈良に引っ越しされていたということが書かれていたと思います。

 田舎弁護士の時の園長先生は榎本保郎牧師という方で、後で知ったのですが、とても高名な方だったようです。園児にとってはいつもにこにこしている穏やかなおじさんというイメージしかありませんでしたが。。。

 クリスマスの劇では、イエスキリストの生誕劇をして、田舎弁護士はなぜか旅籠のおかみさんというしょぼい役でした。一言「とまれません」という言葉を発して終わりでした(それでイエスは馬小屋で誕生することになるのですが)が、小心者の田舎弁護士は前の日からずっと緊張し続けていたように思います。もちろん、保護者が参観にきている光景は今も昔も代わりません。

 めぐみ幼稚園では、何人か友だちができ、そのうち、1名は進学する小学校も一緒でしたので、暫くの間は家族ぐるみでお付き合いがありました。ただ、その子の家も、数年前に更地になり、今は別の方の家が建っています。

 運動会は、当時はそれなりの数の園児がいたことから、市営球場近くの公園で開催され、暑い中を整列して待っていた記憶があります。具体的な競技は覚えておりません。

 行事の度に、榎本牧師をみかけました。

 そういえば、今治めぐみ幼稚園の教室玄関前で撮影されている榎本牧師との写真が残っております。

 田舎弁護士が小学生のころに榎本牧師が転勤したという話をききました。その後、風の便りでお亡くなりになったという話をききましたが、もう40年以上前の話になります。

 小学校に上がったときに、教室で、校長先生のことを園長先生と呼んだことから教室から笑われた記憶があります。それほど、印象に残っていた先生だったのでしょう。

 田舎弁護士の事務所から出て裁判所の通り道に今も今治めぐみ幼稚園はあります。園庭で楽しく遊んでいる姿をみると、田舎弁護士も大昔を思い出すことがあります。

 数年前に子どもを連れて滋賀の近江八幡を訪ねた際に、ある教会の看板に榎本牧師の名前が出ていたことから驚いて調べてみると、榎本牧師は今治の後は近江八幡で活躍されていたことを知りました。

 後世に名前が忘れられずに出るということはなかなかできることではありません。田舎弁護士にはハードルが高いですが、榎本牧師のように良い意味でご相談者様に忘れられない善い仕事をしていきたいと思います。

2018年8月19日 (日)

司法研修所の集合研修(前期)での想い出

 田舎弁護士は平成8年に司法試験に合格したことから、最高裁判所の施設である司法研修所には平成9年4月に入所(第51期)しました。

 今年は司法研修所卒業20周年の大会が京都であります。光陰矢の如しです。

 4月から和光市にある「いずみ寮」という寮に入寮しました。こぎれいなビジネスホテルのような感じで、とても快適に過ごすことはできました。

 実務修習にいくための数か月、和光で生活することになるのですが、当時の司法試験は現在の科挙といわれるほどの難関試験であったことから、その反動で余り勉強していなかったのではないかくらいはじけていたかたもおられました。

 田舎弁護士は合格するまで2年間の間午前5時に起床して勉強するという習慣が抜けなかったことから、前期修習の間はよく勉強していました。

 そのため、民事系の科目はそこそこ成績が良かったように記憶しております。

 いずみ寮の近くに樹林公園という運動公園があるのですが、授業が終わるとそのトラックで走っていました(そのため、腰を痛めるという恐ろしいことになります。)。

 水泳は残念ながら市民プールがあったのですが、小学生や中学生で混んでいるために、利用しづらず、体育館のジム施設の利用をしておりましたが、インストラクターがいるわけではなく、結局、トラックを走ることが多かったように思います。

 司法研修所では、食堂もあり、何種類かのメニューを選択することが可能だったと思います。白いご飯以外にも、ピラフのようなご飯が提供されることもありました。

 図書館は余り利用しませんでしたが、いずみ寮の図書室の図書はよくコピーさせてもらっていました。

 当時は、企業見学や文化コンサートなどにもよく連れて行ってもらったものです。

 もっとも、開放感にひたる方がいたため、バス等の公共施設で大声を出したりなどして迷惑をかける方がいたようで、全体的に注意を受けていました。

 田舎弁護士自身は、地味に生活していたために、特に何か特別なことをしていたという記憶はありませんが、何か人のために役立ったことといえば、中央大学の後輩たちとの懇親会や勉強会(無償)を他の同窓生と一緒にしていたという記憶があります。

 高校・大学の時もそうですが、司法研修所でもクラスのようなところですと、田舎弁護士はあまりとけこめないのですね。ゼミとかサークルなど比較的少人数であればいいのですが、この性格は50歳になっても全く改善されておりませんね。

 田舎弁護士が人生で最も真面目に過ごしてきた時期ですね💦

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               (おんまくの花火)

2017年12月19日 (火)

府中学生会館での想い出

 30年位前ですが、東京の府中市晴見町に大学生向けの男子学生会館がありました。府中学生会館と言っていました。過去形になるのは、今は存在しないからです。

 このブログでも、10年前と、5年前に、「府中学生会館」の昔話を記事にしました。5年前のブログでは、子どもが大学進学するときには学生会館を勧めようかなと書きましたが、光陰矢の如し、とうとう子どもも大学受験をするような年ごろになってしまいました。

 そのため、子どもにも学生会館にての生活をと考えており、現在、合格もしていないのに💦、いろいろと考えております。

 実は、学生会館で、3年程一緒に過ごした大学の先輩とその家族と近く子どもを連れて、久しぶりに会うことを約束しております。2,3年前は、別の同級生ですが、国会議員の政策秘書になっていたことから、子どもたちを連れて、国会や議員会館を案内してもらったことを思い出します。

 30年前か、遠い昔のことですが、やはり青春時代の思い出ですので、きらめいていました。

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 学生会館での当時の写真です。。事務所のスタッフにみせたら、時代を感じると言われました。もちろん、30年前ですから、わざと白黒写真にしているだけです。

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 当時の田舎弁護士です。子どもたちから、髪の毛ふさふさ、さらさらと言われました。

 井上靖が3高時代の思い出を「北の海」という自叙伝的な小説を書いておりますが、田舎弁護士も、府中学生会館での生活は、怠惰な、それでいて、魅力的な生活を送っていたものです。

 とても懐かしく感じますね。

2017年9月22日 (金)

義父の死

 8月31日に義父が亡くなったということを昼に義父にとっては孫にあたる子どもたちから聞き、家で昼食を作っている家内に確認したら、自宅で31日の朝に眠るようにして亡くなっていたという説明を受けた。

 9月1日に通夜、2日に告別式だったが、義父の強い意向により、子ども、孫、子どもの婿のみの家族葬となった。

 そもそも義父との出会いは、20年位前に家内と見合いをして交際することになり、交際して暫くした後、今治市内にある家内の実家であいさつにうかがった時に初めて会ったと思う。

 そのころの義父は今治有数のタオルメーカーの会社の社長をしており、また、関連会社の工場も中国に設置する等して、当時は今治タオルというブランドも確立されておらず、タオルの製造という厳しい業界の中で、第一線で積極的に活躍しており、当時司法修習生であった私から見ると、かなりアグレッシブな雰囲気と容ぼうを持った人であった。

 反面、当時は繊維問題で我が国と中国と貿易摩擦が発生しており、中国進出企業の1社であった義父も相当に厳しい立場に立たされており、そのときの様子がTV等でも放映されており、外部から見ていて痛々しい程であった。

 それはされおき、話を戻すが、家内とは交際を経て婚約し、結婚するに至ったわけであるが、婚約以降、家族の一員として家内の実家に度々出入りするようになった。

 義父の仕事の内容についてはアグレッシブに働いていたこと以外は余りよくわかっていないが、少なくとも、家庭面では家庭を非常に大事にしており、具体例を挙げると数えきれない程あるが、例えば、家内の実家でのバーベキュー大会等では備長炭を購入して一生懸命に家族のために肉を焼いている姿、子ども(孫)のために車を運転して九州や高知を旅行したこと等を思い出している。

 私の仕事で東京の会議が長引いて松山行きの最終便に乗り遅れ、始発便で松山空港に着いたことがあるが、その日も午前から裁判所で仕事があるためそれに間に合うように、早朝に義父が松山空港まで迎えにきてくれたこともある。

 一線をひいてからは、趣味の範囲ではあるが、農作業に従事し、大根やネギ等の野菜を持ってきてくれたり、或いは、家庭でそば粉からそばを作って御馳走をしてくれたりなど、誠に家族サービスに富んだ人であった。

 また、現在私の子ども(孫)が高校三年生であるが、もし子どもが中央大学に進学することがあれば、義父も私も中央大学出身であることから、3代が中央大学出身者ということで、中央大学のホームカミングデーで表彰されるかもなということで、子どもの大学合格を楽しみにしていた。

 最近調子が悪く、先月も入院し退院したばかりであるが、子ども(孫)は8月に北陸の城めぐりした時のお土産(のどぐろ)を持参した時には元気そうだということでまだまだ大丈夫だと勝手に思い込んで安心していた。

 旅行の土産を持って行くと「いつもありがとう」という義父の言葉を思い出す。

 享年77歳だった。

 作家の井上靖の言葉だったと思うが、親が亡くなると、自分自身の死を意識するようになる、これまではそのような意識を親が引き受けてくれていたが、親が亡くなると、今度は自分の番だということで、死というのが急に正面から意識するようになるというような趣旨のことを話されていたのを思い出す。

 私には、まだ、義母や両親がいるが、いずれも高齢である。井上靖の先ほどの言葉を知ったのは30年位前のことであるが、その時には余り理解が十分ではなかったが、義父が亡くなり、少しずつではあるが、確実にそのようなことも考えることが増えている。

 そういえば、家内と結婚した当初に、義父から国際ホテルの寿司屋さんで二人きりの食事を誘われたことを今思い出した。二人きりで食事をしたのは先にも後にもその1回だけだ。何を話をしたのかはほとんど覚えていないが、ただ、家内は元気か?ということを訊かれたことがある。その当時、家内は義父の会社の社員であり、社員である家内の状態は知っているはずなのに不思議に思ったが、今から思うと、娘である家内が幸せなのかを確認したかったのだろうと思う。このようなことも歳を重ねないとなかなかわからないものだ。

 私にとっては、仕事に対する姿勢でも、家庭の面でも、目標とすべき人だったので、義父の死は本当に残念に思う。

 自分にとっても、心の中に大きな空洞が生じた感じがする。

 親孝行は亡くなってしまうと、したくてもできない。。。という話があるが、人生の先輩としてお話をうかがうこともできなくなってしまうというのは亡くなってから如実に感じるところである。

 なお、冒頭に話が戻るが、昼食を作っていた家内は私や子どもに対しては明るくふるまっているが、顔に泣いていた痕があった。。。

 今は静かに義父の冥福を祈りたいと思う。

2017年4月17日 (月)

平成28年公認会計士試験合格

 中央大学学員時報No496号が送られてきました。

 その中に、平成28年公認会計士試験合格者の大学別ランキングが掲載され、どうやら第2位だつたようです。

 第1位は、慶大 で、139人

 第2位は、中大 で、96人

 第2位は、早大 で、96人

 第4位は、明大 で、72人

 第5位は、東大 で、36人

 昨年は、

 第1位は、慶大 で、123人

 第2位は、早大 で、91人

 第3位は、中大 で、62人

 第4位は、明大 で、56人

 第5位は、同大 で、33人

 となっております。

 国立としては、東大以外には、神戸大学が上位10位に入っております。

 公認会計士試験って、国立大学が少ないように感じますね。伝統的に、慶大が第1位なのはわかりますが、意外と東大が少ないように感じます。

 その中では、中大が、第2位から第3位を確保しているので、たいしたもんです。

 

2017年4月 7日 (金)

江戸城の思い出

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 先月の連休で、中学2年の息子を連れて、江戸城を訪ねました。江戸城は、2,3年前にも、息子と娘を連れて訪ねているのですが、娘が余りお城には興味がなかったことから1時間程しかお城見物できず、息子が消化不良になったので、再度息子だけを連れて訪ねることにしました。4時間程滞在しましたが、北の丸方面の田安門、清水門が見れないことが息子の心の残りだったようですが、それ以外はずいぶん楽しめたと喜んでいました。

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 遠い昔、おそらく、大学1年生か2年生のころ、今から、30年前のことだと思いますが、そのころ、理由は忘れましたが、母親と一緒に、江戸城を散策した記憶があります。

 残念ながら、どのような目的で、また、江戸城の前後はどこを訪ねたのかは記憶に残っておりません。

 平日の閑散としている江戸城を、母親と二人でただ会話もなく、歩いたという記憶しかありません。

 その時の記憶としては、音楽隊の人たちが練習している音が小さく聞こえていたこと、そして、江戸城の天守台を登らずにそのまま通り過ぎたということだけです。

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 従って、江戸城というのは、記憶にある範囲だと、30年前に1回、2,3年前に1回、そして最近に1回 というわけです。

 今から思えば、大学時代、司法浪人時代、司法修習生時代等、もっと、江戸城を訪ねる機会はあったかと思うのですが、1回しか訪ねていませんでした。

 たぶん、江戸「城」という感覚がなくて、皇居という感覚であったので、近づきがたかったのかもしれません。

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 息子は、お城が大好きで、石垣の1つ1つ、門の1つ1つを、丁寧に観察し、また、説明してくれます。

 Kimg5439 お城を訪ねると、息子から、息子が仕入れた知識や現場で感じた事などを一生懸命説明してくれるので、とても楽しいひと時が過ごせます。 Kimg5361

 いつまで息子との男旅を続けられるかわかりませんが、息子との楽しい思い出をそのまま大切にしていきたいと思います。

 そう考えると、母親も実は同じようなことを思っていたのではないかと想像したりします。

 そのことを尋ねると、母親からは、「そんなことあったんかいね?」とも言われそうなので、怖くて確認できておりません。

2017年3月30日 (木)

 煙草の臭い  (-。-)y-゜゜゜

 煙草の臭いですが、私は禁煙していることもあってか、煙草の臭いだけは耐えられません。

 あるサイトに、

 「タバコを吸う人の口臭はかなり強烈な臭いなんです。それはもう近くで会話していると思わず手で鼻を覆いたくなるくらいです。私も以前は1日に2箱近くタバコを吸うヘビースモーカーだったのですが、吸っている当時は自分の口臭なんてまったく気にしていませんでした。ところが禁煙してからやっとその臭いの強烈さに気づきました。」

 とありましたが、まさにそのとおりだと個人的には思います。

 吸っている時の臭いだけではなく、吸い終わった後の口臭もこのブログにあるように強烈に感じます。

 自動車やバスの車の中、昔の電車の中などの閉鎖的な空間で吸われると逃げることもできず、大変不快な思いをします。

 料理をいただいている最中のたばこのにおいも嫌ですね。

 私自身は、たばこは、社会にとって大きな負荷を与えるものなので、最低でも1箱2000円位にすべきではないかと思っております(喫煙家の皆様すみません。)。

 たばこのにおいについてはこのように不快に思っている者もいますので、吸っている間だけではなく、吸い終わったあとの口臭、また、特に車の中等の狭い空間での臭いについては、禁煙者に対する配慮をいただければと思います。

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                  (江戸城)

 そして、煙草を吸う方は、きちんと口臭のケアをしてもらいたいと思いますので、このサイト を参考にしていただければと思います。 

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