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2007年12月28日 (金)

府中の思い出 ー 府中学生会館

 先日、顧問先の金融機関の忘年会に招かれた時に、初めてお会いする新入社員さんも1名ご出席されており、その方が東京都国分寺出身であり、私も、学生時代に国分寺の隣の市である東京都府中市に住んでいたため、国分寺周辺の超ローカルな話で盛り上がりました。

 私は、確か、昭和61年2月ころの週刊朝日という雑誌に、たまたま府中学生会館の広告が載っていたことがきっかけで、大学生時代、私は、当時府中市晴見町にあった府中学生会館で生活することになりました。

 なお、母校になる大学を受験する時の宿も、府中駅近くにありました。父と同伴でとまったのですが、私1人が先に宿泊手続をとりにフロントに行ったところ、事前に予約をしているにもかかわらず、前金が必要だとかいって、部屋に入れてくれなかったのです。仕方がないので、ホテルのレストランで父がやってくるのを数時間待っていましたが、なかなかこないために、フロントの人が私に対していくら持っているのかと質問され、財布に5000円ある旨告げると、5000円を徴収されて、部屋に通されました。ようやくホテルにやってきた父にその事情を説明すると、烈火のごとく腹を立てて、フロントに文句を言いにフロントまで降りていったのを覚えています。チェーンホテルのようですが、それ移行、ビジネスで宿泊するときも、そのホテルの系列ホテルは避けています。本命の大学だったこともあってか、試験当日、父が試験会場に同行してくれて、ヒルトップ隧道を越えた門の所で、父が手を振っている姿を覚えています。

 そういえば、合格通知を受けた後に、府中学生会館への手配も、父が会館まで同行してくれ、諸手続をとってくれたことを思い出しました。

 ある塾の先生からは、(私の前で)「受かるはずがない」等と断言されていたことから(そうはいっても、高校【進学校】では、別に劣等生ではなく、文系選抜クラスで真ん中くらいの成績でした)、父は、断言されていたため、よっぽど、大学に現役合格したことがうれしかったようでした(なお、弁護士になった後に、その先生にお会いすることがあり、「い~や。君ならやってくれると思っていたよ。」旨お褒めのお言葉を頂戴いたしました。)(なお、40人程度のクラスだったと記憶していますが、4人旧司法試験に合格しています。)。

 話は戻りますが、

 私自身、今と異なり?、当時は、性格がかなり奥手であるため、なかなか友人ができにくく、府中学生会館に、ともに学生が一緒に生活する場を提供してもらったことから、必然的に、複数の友人を得ることができ、学生時代は、余り寂しい思いをせずに、大変楽しく生活させていただきました。(^o^)

 (大学の)学部の語学(中国語)のクラスは、附属高校出身者が多く、地方出身者は極端に少なく、案の定、ほとんどとけ込めなかったので、大学1,2年生のころは、特に、ありがたい思いをしたものです。

 さて、府中学生会館は、大学生が主体ですが、浪人生、高校生、大学院生、研修生も生活しており、また、アメリカ人やネパール人もおり、国際色が豊かでした。

 ネパールの方は、総理大臣と親戚になるとかで、大変な家柄の方だったと記憶しています。当時、医療研修のために都立病院に通っておられましたと聞いています。

 アメリカ人の方は、当時ICUに通学していましたが、その後、AT&Tに、入社しました。彼の部屋で初めて電子メールを知り、アメリカは進んでいるなあと思ったものです。

 学部の英語の勉強を数回みてもらいましたが、きさくな方でした。

 隣の部屋には、大学の1期先輩の方が住んでおられましたが、大変な勉強家で、今では、銀行法務21や金融法務事情などの金融法務専門誌に解説者としてお名前はたびたび拝見しています。

 入館は、女人禁制でした。知人の妹さんが訪ねられても、1階の談話室どまりでした。

 一応、個室で流し台及び机、本棚、ベット、エアコンがついていましたが、お風呂は大浴場が1階に設置されていました。菖蒲の湯も年に1回あり季節感がありました。4階構造で、1階から4階にはトイレが、屋上にはコイン式ランドリーと乾燥機が、設置されていました。

 屋上からは府中の町並みが一望でき、大変見晴らしが良かったです。

 1階が談話室と呼ばれ、大きなTVが設置されており、仲の良い人たちが数人麻雀などとして溜まっていました。今での麻雀パイの音をきくと、談話室のことを思い出します。

 馬鹿な奴(自称極左)が、談話室の入り口に、「爆○製造中」という張り紙をして、こっぴどくしかられていたのを思い出します(私ではありません)。

 学生会館の使用料(賃料)は、月額5万円程度だったと思います。駐車場代は、別にかかったようです。光熱費込みですので、お得だったと思います。

 管理人さんご夫婦が、私たち学生の面倒を暖かくみてくれていました。<(_ _)>

 変なセールスがきても、おじさんが撃退してくれました。当時、問題となっていた○○教会からの勧誘活動が活発でした。

 4月にはいると、近くに住んでいるオーナー主催のパーティがあり、それはそれは大変にぎやかなものでした。

 大学約4年間学生会館で生活させてもらったのですが、いろんな意味で非常に良かったと思います。

 若輩なため、管理人さんにいろいろ非常識なことも述べたことがありますが、優しくまた厳しくたしなめていただき、社会常識も、少しずつ教えていただきました。

 府中学生会館の近くには、府中公園という市民の憩いの場がありましたが、そこで運動をしたり、また、自転車で10分程度の所に、スポーツクラブ(東府中駅の近く)があり、そこで筋肉トレイニングをしたりしていました。

 ここでのスポーツクラブでの運動が長続きしたなあ。2年近く通ったのではないでしょうか。同世代の女性インストラクターも、たくさん、いましたし (^^;)

 イトーヨーカ堂が府中本町駅の近くにありましたが、大学1年生のころ、その屋上のテニススクールに3ヶ月ほど通っていたこともあります。

 また、国分寺駅近くのジムに、半年位、先輩と一緒に通って、バーベルを持ち上げたりしていました。ここでは、本格的なジムであったため、練習?がきつかったので、先輩がやめ、次いで私もやめました。

 そして、通学路である京王線府中駅から学生会館までのケヤキ並木は、すばらしかったです。とくに新緑の美しさは、目を見張るものがあります。

 食事は、大学でとること(学食です)が多かったのですが、大学に行かない時には、晴見町の商店街(正確な名称は忘れました)の周辺のお店で夕食をとることも少なくありませんでした。カツレツ定食をよく注文していました。また、明星学苑近くに、「チロ」というほのぼのとした家庭料理のお店がありましたが、今でも、おばあさんは、お元気でしょうか?

 また、府中学生会館前の長寿庵というおそば屋さんや、幸楽苑?という中華料理屋さんの、常連客になっていました。まず、幸楽苑さんが道路拡張のため、大学2年生のころには立ち退きとなりましたが、長寿庵さんは、私が在籍していたころまで、営業されていました。

 京王府中の駅前には、旧富士銀行の近くの地下飲食店街に、焼鳥屋さんがあったのですが、この焼鳥屋さんは、めちゃおいしかったです。司法試験合格した平成8年に後輩と府中で待ち合わせをした時にも、そこで食事をしました。

 府中駅は当時はまだ高架橋の工事の前の状態で、些か使い勝手が悪かったですが、卒業後には、立派な駅舎に建て替えられました。

  甲州街道沿いには、江戸時代から続く老舗のそば屋さんがありましたが、残念ながら大学3,4年生のころに、閉店となりました。

  JRの北府中駅近くにも、おいしいハンバーグ屋さん(グラムを指定する方法で注文)があり、月初に、先輩たちと、大盛りのハンバーグを食べにいったものです。

 学生会館では、ワインがブームとなり、先輩の部屋で、セブンイレブンから仕入れたカリフォルニアシャブリという大容量のワインを購入し、毎週1回位しこたま飲んで酔っぱらったのを覚えております。酔っぱらった際に、よく大学の校歌や応援歌を歌ったものです。

 また、コーヒーにものすごくこだわりを持っている友人がいて、豆をひいて、しかも、サイホンを使ってコーヒーを入れ、その間は、ずっと、クラッシック音楽(レコードです)とその音楽の作曲家の説明を延々と聞かされていました。そこで淹れてくれるコーヒーは、とてもおいしかったですね。

 髪は近くのW美容院で切っていたのですが、おだてられて、軽いパーマをかけたりしていました。美容院のご主人は、結構きさくな方で、おもしろかったです。あの当時、些か生意気な女性店員(平成2年ころに退職)がいましたが、元気だろうか? あのころは、私も、フサフサでしたが・・・・

 甲州街道沿いに、幽霊屋敷のような医院があり、大学3年生のころには、整地され、暫く駐輪場になっていたかと思うのですが、そこでとめていた自転車を盗まれたと錯覚して、府中署に届け出たことがありますが、警察署って、悪い人しかいかないという感覚を持っていたため、おそろしく緊張しましたね。届出書を作成しているときに、被疑者らしい人物が護送されてきたため、なおさらでした。

 暇つぶしには、先輩の部屋で「信長の野望」や、1人で近くのゲームセンターで、宇宙人を倒すなどの、ゲームをしたり、また、歴史のありそうなビリヤード場で先輩たちと玉突きをしていました。私たちの時代は、ビリヤードが爆発的な人気がでていました。この時の先輩たちの多くは、裁判所の職員になっています。私も、暇つぶしの時間を勉強に割いていれば、1年くらい早く司法試験に合格したかもしれません。

 府中には、ご承知の方も多いと思いますが、大国魂神社という立派な神社があるのですが、お祭りの時には、にぎやかで、今では余り見なくなったお化け屋敷などもありました。

 神社の近くは、市役所や図書館がありましたが、府中の図書館はずいぶん立派なものでした。

 卒業後は、私は予備校に通学する便宜の良い区内に引っ越ししたため、あまり府中学生会館を訪れることはなくなりましたが、26歳の時、当時の仲間数人が1部屋借りて、鍋料理をするということで、私も食べにでかけた際に、管理人の奥様からビールを差し入れていただきました。

 ただ、管理人のおじさんは、いささか健康状態が悪いように見え受けられました。

 (風の便りでは、愛知県の方に引っ越しされたと聞いていますが・・・)

 それから暫くして、学生会館は取り壊され、立派なマンションが建ちました。

 今でも、音信があるのは、今では市会議員や裁判所職員になった2名程度ですが、他の方々は、みんな元気だろうか?

 みなさん、社会の中堅になっているとは思いますが・・・・

 インターネットで「府中学生会館」を検索しても全くヒットしないため、このまま府中学生会館が忘れられるのも寂しいので、ご紹介させていただきました。

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コメント

拝啓 新涼の候、ますます御健勝のこととお喜び申し上げます。
 さて、まず突然の不躾なコメントをお許しください。私は橋本と申します。
初めまして、と書きたいところですが、「初めまして」ではないかもしれません。
以前にお会いしているかもしれません。
というのも、なんと私は63年の春に府中学生会館に入居していたのです。
・・・・・・・・・・・・・・
>1階が談話室と呼ばれ、大きなTVが設置されており、
>仲の良い人たちが数人麻雀などとして溜まっていました。
>今での麻雀パイの音をきくと、談話室のことを思い出します。
・・・・・・・・・・・・・・
なんとこの部分の「仲の良い人たち」はおそらく私です。
その当時私は浪人の身でありながらほぼ毎日のように卓を囲んでいました。
それが原因では無いと思いますが受験は失敗しましたが(笑)。
学生会館を去ってからはその名もほとんど聞かず言葉にせずだったのに、20年近くの歳月が流れてから、なんとなしに覗いた寄井さんのHPからタイムスリップできるとは。
いやはやなんとも、驚きました。
一年しかお世話にならなかった学生会館ですが、なんとも、なかなか濃い時間でした。
ブログに書かれているネパール人は「○○」と「○○」ですね。○○とはよく部屋で遊びましたよ。
プレゼントももらいました。でも、一緒には風呂に入ってくれないんですよね(笑)。
こういうブログとかに対して何か書き込むという行為はしたことがないのですが、ちょっと熱いものを感じてしまいついにキーボードを叩いてしまいました。
しかし、その当時の記憶がどんどんあふれてきてしまい、手が止まらなくなるのでこの辺で失礼いたします。
 法曹の世界でご活躍されているのですね。
お元気でご活躍ください。
                     敬具

 コメントありがとうございます。私は、昭和61年春から平成元年12月まで、学生会館にいました。昭和63年春ということは、私が大学3年生の時になります。
 談話室では、「うっ うっ」というかけ声をされる東京経済大学のおもしろい先輩がおられましたね。確か、未成年にお酒を飲まそうとさせていた輩もいたかと思います。ひょっとして飲まされましたか?
 平成5年ころに一度管理人のおじさんを訪ねたことがありますが、かなりしんどそうでした。会館閉鎖後愛知県方面に転居された噂をきいたことがあります。
 学生会館では得難い学生生活をおくらせていただきました。
 

早速の修正ありがとうございました。

お互い、時間的には同じ屋根の下にいたようですね。
顔を見れば気がつくのかもしれません。
私は黄色い原チャに乗ってました。

それにしても懐かしい。
「うっ うっ」の先輩は、よく一人でTVの真正面でソファに座ってTV見ていましたよね。
あのお方が一番、麻雀の面子を集めるために召集令状をばら撒いていました。
受験勉強してるとほぼ毎日赤紙が。。。
しかし私も小さい頃から家族麻雀をしているほど麻雀が大好きなものですからついつい。。。(笑)
私はいつも早稲田の「土佐者」と農工大の「熊本者」と東経大の「高崎者」の3人と一緒につるんでいました。
「土佐者」と「熊本者」の飲み比べにはいつも感服してました。(笑)
みんなで会館の並びにあるセブンイレブンに行った時、府中刑務所で大親分の出所があったらしく、
50人ぐらいのその筋の方々が一挙にコンビニに入ってきて、すぐに出れなくなったこともありました。
それ以外にも多摩霊園で何かに取り憑かれたといって、毎日屋上で多磨霊園に向かってお祈りしている怖い人とか、とにかくワンダーランドでした。

だめだ、ちょっと考えただけでどんどん記憶がよみがえります。
こんな個人的なことばかり書いてちゃだめですよね。
でも誰か会館の知り合いが見てて参加してくるようなことがあれば面白いのですが。。。

そうですかぁ。管理人のおじさんは体調を崩されて転居されていたのですか。
とてもいい感じのご夫婦でしたのにね。
しかも取り壊されていたとは。。。寂しい限りです。

早速のコメントありがとうございました。
高崎者は、少し、岸部シローに似ていたような気が・・・・
「うっ」の先輩は讃岐者だったと思います。金融機関に就職したと思いますが、バブルが弾けて、破綻してしまったので、おじさんも心配していましたね。当時の浪人生には、T本君がいました。3浪して、技術系の大学に入学したのではないかと記憶しています。
コンビニはセブンイレブンだったですが、その筋の人多かったですね。サンダルで立ち読みしていたら、やくざ者に足を踏まれたことがあります。pout
 通りには、文房具屋、クリーニング、コンビニ、銭湯があったような気がします。
 向かいの長寿園は、学生会館の学食と化していました。
 部屋でお香をたいていた人がいましたね、G大の○和○くんだったと思います。
 懐かしいです。
 府中学生会館で検索すると、うちのブログがヒットしますので、誰かが参加すればおもしろいですね。
 今後ともよろしくお願い申し上げます。

こんにちは。
またお邪魔します。
こちらこそよろしくお願い申し上げます。

そうですよね。
あそこの卒業生は何人いたのでしょうね。何年間やってたのでしょうか?
もっとこのブログからつながればいいですね。
私も期待しています。

私の知っている高崎者はTUBEの前田に似ていますよ。自分でもそう言っていました(笑)、彼はカラオケでもTUBEかサザンでした。
歳は私より1つ下で部屋が隣の隣だったのでよく覚えています。一番一緒につるんでいました。
「うっ」の先輩は讃岐者だったかもしれませんね。
私もなんとなくそう記憶しています。
吉川晃司に似ていた背の高い人もいましたね。
私は将棋が初段なのですが、彼も将棋が強く、久しぶりに勝ったり負けたりするという相手にめぐりあったものですから、お互いに部屋に迎えに行っては対戦して、麻雀以上に熱くなっていた記憶がよみがえりました。
銭湯、ありましたね~。風呂が使えないとき行っていました。
でも、会館の風呂は大きくてよかったですけどね。
なんのときだっけか、会館で何かの祝い事があって、ビールがたくさんあって、風呂でみんなでビールかけをしたのを鮮明に思い出しました。おじさんに見つかって怒られて掃除したんじゃなかったけなぁ・・・(笑)
それにしても目がとても痛かったです。
長寿園!、懐かしい、あそこにいくといつも「けんちんうどん」ばかり食べていました。

今でこそ、デジカメや携帯カメラで色々な風景や人物を残せますが、あの頃は何もなく、わざわざカメラで撮っておくということもなく、記憶のみですからね。まあそれもまたいいのかもしれませんが。

それにしてもこのブログは色々思い出すとういか、アハ体験というか、脳が活性化しますね。(笑)

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